2005年11月17日

オーストラリア、74年以来2度目のW杯出場を決める

現地時間16日(以下現地時間)、オーストラリアとウルグアイによる2006年W杯予選大陸間プレーオフのセカンドレグが行なわれ、2試合合計スコア1対1の同点で迎えたPK戦を4対2と制したオーストラリアが、1974年大会以来となる2度目のW杯出場を決めた。

 アウェイでのファーストレグを0対1と落としていたオーストラリア。この日は立ち上がりから動きが硬く、レコバのセットプレーなどからウルグアイに危険なシーンを作り出される。この状況を見てか、ヒディンク監督は30分を過ぎたところで早くも選手交代を指示。イエローカードを受けていたDFポポヴィッチに代えて、MFキューウェルを投入すると、この采配がいきなり功を奏す。35分、ピッチに入ったばかりのキューウェルが左サイドからエリア内に進入してシュート。ボールはうまく足にヒットしなかったものの、そこに詰めたブレッシャーノがゴールネットを揺らし、2試合合計1対1の同点に追い付く。

 この後は90分、そして延長戦を終えてもスコアは動かず、決着はPK戦へ。互いに4人を終えたところで、後攻のウルグアイがGKシュワルツァーに2本止められていたのに対し、先行のオーストラリアは3人が決めてリード。そして5人目のアロイージが確実にゴールネットを揺らし、8万人の観衆の前で、4年前のプレーオフでは敗れたウルグアイに雪辱を果たすとともに、悲願のW杯出場を決めた。

 「我々はわずかな期間しかともに過ごすことができなかったが、選手たちは本当によくやったと思う」と語ったヒディンク監督。98年W杯ではオランダを、2002年W杯では韓国をベスト4に導いた名将は、PSV(オランダ)の監督を兼任しながら7月にオーストラリア代表の指揮官に就任し、わずか4カ月ほどでチームを偉業達成に導いた。
posted by むっちゃん at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本代表、アンゴラに競り勝つ

日本代表は16日、「KIRIN WORLD CHALLENGE キリンチャレンジカップ2005 −Go for 2006!−」で、2006年W杯アフリカ予選を勝ち抜いたアンゴラと東京・国立競技場で対戦。試合終了間際の松井のゴールで1対0と競り勝った。

 玉田、小笠原、茂庭、加地の4選手がケガなどにより離脱した日本は、W杯アジア最終予選のイラン戦(8月17日)以来となる田中、宮本、中澤の3バックを採用。ボランチには中田英と稲本が入り、右に駒野、左に三都主、トップ下は中村が務め、前線では高原と柳沢がコンビを組む、予想通りの布陣でスタートを切った。

 序盤からペースをつかんだ日本は幾度も先制のチャンスを迎えるも、なかなか決められない。10分には右サイドでFKのチャンスをつかむと、中村のキックに高原がヘッド。しかし、これはクロスバーに阻まれてしまう。その後もマークの緩いアンゴラ相手に試合を優位に進め、26分には左サイドからのクロスに高原がボレーでねらうも、またもやクロスバーを直撃。運に恵まれない日本はスコアレスで前半を折り返す。

 後半になると、先にペースを握ったのはアンゴラだった。日本のパスワークを早めの囲い込みで寸断すると、テンポよくパスをつないで日本陣内へ攻め入り、得点の可能性を感じさせるミドルなどで日本ゴールを脅かす。日本は66分、田中に代えて松井を投入し、松井を右、中村を左に配する4−4−2にシステムを変更。すると、再び流れが日本に傾くも、高原、途中出場の大黒、柳沢らが、訪れたチャンスを活かし切れない。

 それでも試合終了間際、献身的な動きで日本の攻撃にリズムを与えていた松井が日本に勝利を呼び込んだ。右スローインから中村が逆サイドへと送ったクロスボールを柳沢が折り返すと、詰めていた松井がヘッド。松井の代表初ゴールが決勝点となり、日本は2005年の最終戦を勝利で飾った。
posted by むっちゃん at 08:20| Comment(1) | TrackBack(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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